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大分県豊後高田市香々地町夷(えびす)
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■■■■■ 霊仙寺(れいせんじ) ■■■■■ ====================================================
◆ 霊仙寺(れいせんじ)・實相院(じっそういん)・六所神社(ろくしょじんじゃ)の3社寺がならぶ夷(えびす)地区
◆ 「霊仙寺」の前は夷耶馬(えびすやば)

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霊仙寺・實相院・六所神社は国東半島の北西部にある旧香々地町夷(えびす)地区にあります。この夷(えびす)地区は谷になっており夷(えびす)谷といわれており西谷と東谷に別れています。
夷谷周辺は耶馬溪の景観とよく似て奇岩・秀峰が連なり耶馬溪になぞらえて「夷(えびす)耶馬」と呼ばれています。
この夷谷(東谷)に霊仙寺・實相院・六所神社と3つの社寺が並んであります。なんでも元々は霊仙寺(れいせんじ)だけであったが、霊仙寺の講堂(坊という説もある)が實相院(じっそういん)となり、
奥の院が六所神社(ろくしょじんじゃ)になったといわれています。
まず、霊仙寺(れいせんじ)に行ってみましょう。まず目立つのは境内に大きなお地蔵さんの像があります。このお地蔵さんは高さが4.87mもあり大きいので外からも良く見えます。
安政7年(1860年)に造られたもので一石地蔵尊では九州最大です。
それと山門の両脇に江戸時代初期の作とみられる一対の仁王像があります。国東の佳作(かさく=優れた作品)と言われています。そして山門を入った所の両脇にも丸彫りの仁王像があります。
これもなかなかの像です。地蔵尊の両脇にもありますので、こ寺だけで6体の仁王像があることになります。
この霊仙寺(れいせんじ)は国東六郷満山二十八ヶ寺中末山本寺の古刹(こさつ)で養老2年(718年)に仁聞菩薩により開創されたといわれています。
本尊は千手観世音で秘仏となっていますので通常は見られないようです。そして平安後期の阿弥陀如来座像及び不動三尊像も併祀(へいし)されているようです。
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◆ 霊仙寺(れいせんじ)本堂
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◆ 山門横の仁王像(江戸時代初期の作)
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◆ 屋根にとどくほど大きな(高さ4.87m)地蔵尊と霊仙寺(れいせんじ)
■■■■■ 實相院 (実相院) ■■■■■ =======================================================
◆ 實相院 (じっそういん)
◆ 大きな国東塔と「耳地蔵さん」

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霊仙寺の隣にあり實相院 (じっそういん)は霊仙寺の講堂であったとか坊の一つであったとか言われていますが今は独立した寺です。
この實相院 (じっそういん)は九州三十六不動尊巡礼の第 5番札所になっています。
實相院の本尊は不動明王を中心とした聖観音像、薬師如来像などです。鐘楼の近くには
鎌倉時代末期から南北朝時代の作といわれる、旧香々地町内で最大の4mにも及ぶ国東塔があり、その横には頬被りをしたお地蔵さんが2体あります。
このお地蔵さんは「耳地蔵さん」と言われており病気平癒を願って多くの参拝者が訪れるお地蔵さんだそうです。
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■■■■■ 六所神社(ろくしょじんじゃ) ■■■■■ ===============================================
◆ 六所神社(ろくしょじんじゃ)

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六所神社(ろくしょじんじゃ)は霊仙寺(れいせんじ)の奥の院でしたが、明治時代の神仏分離令により分離され、別々の社寺になり現在に至っています。
この国東半島の寺院は宇佐八幡の庇護の下で発展しましたが、国東六郷満山の諸寺院は仏教の寺が多いのです。しかし宇佐八幡は全国4万社ある八幡様の総本山なので神教なのです。
これを「神仏習合」というようです。ようするに神と仏という相異なる性格を持つものが争うこと無く平和に共存していたのです(=同時に信仰されていた)
なぜ、そうなったかは諸説あるようですが・・・・ここでは省略します。ようするに神教も仏教も仲良くしていたということです。
で、この六所神社(ろくしょじんじゃ)も、元は霊仙寺(れいせんじ)の中にあった鎮守の社(神教)であったと言われています。それが明治になりはっきり分かれたようです。
キリスト教をはじめ、「俺達が一番の宗教」というのが多い中で、なんと日本人は大らかではないか、世界もこの精神だと宗教戦争は起きないと思うのだがね?
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◆ 石段の上にある社殿
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◆ 古い絵馬などがある拝殿
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◆ 六所神社の本殿
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◆ 今夷社(いまえびすしゃ)
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◆ 大綿積社(おおわたつみしゃ)
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