◆ 三浦梅園資料館のパンフレットより転載

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国東半島中央部の両子山(721m)の中腹にある国東市安岐町富清地区にある三浦梅園(みうらばいえん)資料館。隣に三浦梅園旧宅があり、少し山を登った場所に「梅園の里」があります。
三浦梅園旧宅のあるここは、けっこう山の中の田舎です。三浦梅園さんは江戸時代(1721〜1789年)ここで生活をし、物事の本質を追求したのです。
で、三浦梅園さんは何をしたの? と、思っている人も多いでしょう。何を隠そう私も名前は聞いたことがありますが、何をした人なのかは詳しくは知りませんでした。
ここの資料館でいろいろ見て知りましたが、一言で言うと「なぜそうなっているのか?いつも疑問をもち、物事の背景を探求した哲学者ですかね?
少年のときから「目はどうして物を見ることができるのか? 耳はどうして声を聞くことができるか? 心はなぜ物を思うことができるのか?」そういう疑問をもっていたそうです。
その解明は沢山の動物の解剖を行い、人間も同じはずだ。と推論しました。その後、罪人の人体解剖に立会い「人体解剖図」も杉田玄白の解体新書より早く作ったそうです。
また、陽はなぜ東から上り、西に沈むのか? などの疑問も持っており、1778年には長崎に旅をしたときに「地動説」の話を聞いています。そして梅園は西洋の天文学の精密さに驚き高く評価していましたが、
それは表面上の正確さだけであり背後のしくみまでつかんでいない。と不満であったそうです。それで梅園さんは「天地(宇宙)は一つの気からできており、その気は陰と陽の二つに姿をあらわしており、この二つは対立しつつ合して一気をなす・・・・」
うーん、私の頭では良く理解できないが、アインシュタインの相対性理論なのか? さてさて・・・・よく分からんです。
このように梅園さんは哲学、天文学、生物学、医学、政治経済学、道徳などさまざまにわたって探求された、すごい人だったようです。
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