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 ◆ 田んぼの側にひっそりとある静御前(しずかごぜん)の墓。 
田んぼの側にひっそりとある静御前(しずかごぜん)の墓


 ◆ 地元の人はこの墓をシデと言っていました
地元の人はこの墓のことをシデと言っていました。紙垂(シデ)と書き、しめ縄等に垂れ下げる紙のことですが、ここでは神域の意味で言っているようです?

 福津市(旧:津屋崎町)生家(ゆくえ)地区に静御前の墓と言われている墓があります。カンバンも案内板もなく田んぼの隅にひっそりと建っています。
静御前と言えば源義経の愛妾(あいしょう:気に入りの妾【めかけ】)だった人です。
なんでも、1185年頃に静御前は源義経を探すためにここに住んでいたそうです。義経に会えない悲しみから
わが君の 行くえも知らず、しずか川
 流れの末に身をやとどめむ

という歌を詠んだと言われています。 後にこの地を生家(ゆくえ)と呼び、静御前の霊を弔う墓が建てられたそうです。

 この墓の台座をよ〜く見ると「昭和二年九月十九日・・・」と読めます。昭和に造られたもののようです。 まあ、それまでささやかな物はあったが昭和2年に造り替えたとも考えられます。
いずれにしても静御前(しずかごぜん)の最後の行方は定かでありません。
最初に義経と静御前(しずかごぜん)は九州に逃げる予定でしたが途中で船団が嵐で遭難して九州に逃げることができませんでした。 このことを考えても、静御前(しずかごぜん)が晩年ここに来ていた可能性は充分あります。

 ◆ 台座には“昭和”の字が見える
台座には“昭和”の字が見える
 ◆ このような場所に、ひっそりとあります
このような場所に、ひっそりとあります






臼杵(うすき)の井戸

 静御前(しずかごぜん)の墓から西に約300m行った場所に静御前が使用したと言われる井戸があります。この井戸は静御前が実子の臼杵太郎(うすきたろう)を産んだときに産湯の水として使ったそうです。 そして臼杵太郎が豊後の大友氏につかえるために旅立つ際、別れを惜しんで、この井戸に臼(うす)と杵(きね)を沈めたと伝えられています。直径は約1m程度の小さな井戸で“臼杵(うすき)の井戸”と言われています。
そばには祠(ほこら)があります。地元の人は静御前の子供を祀っていると聞いている。と言っていました。


 ◆ 静御前が使用した臼杵の井戸。 ※場所はここ
田んぼの側にひっそりとある静御前(しずかごぜん)の墓

 ◆ このような場所にあります
このような場所にあります

 地元の人に静御前の墓の場所を聞いたときに、「もう少し先に右に行く道があり、そこにシデがある。そこが墓で、そこから300m先に行ったビニールハウスの手前にもシデがある・・・・」と言われていました。 どうも、この祠(ほこら)などのことをシデと言われているようです。調べてみたらしめ縄等に垂れ下げる白い紙を紙垂(シデ)と言うようです。しかし地元の人の言っている意味は 祠(ほこら)などの祀ってある神域をシデと言われているのだと思います。
そのように地元ではこの静御前の墓と井戸などは神域として犯してはならない場所として大事にされてきたのだと思います。



静御前(しずかごぜん)

 静御前(しずかごぜん)の事を少し調べてみました。
静御前(しずかごぜん、1165年(永万元年)? - 1211年(建暦元年)?)となっており生まれも死亡年代も定かでないようです。
母の磯禅師は白拍子(しらびょうし)の祖とされる女性で、静も白拍子(しらびょうし)となり後に義経に見初められ義経の愛妾(あいしょう:気に入りの妾【めかけ】)になった人です。 一応、義経には正妻の「河越太郎重頼の息女」郷姫という人がいたのですが、静御前が有名なので郷姫の影は薄いですね。
※ちなみに白拍子(しらびょうし)とは男装して舞う遊女のことです。

 源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ち逃げる義経に静御前(しずかごぜん)は同行していましたが、吉野で別れ 京に戻るが、途中で山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡されました。そして1186年3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られるが、その後、静と磯禅師は京に帰されたそうです。 憐れんだ政子が多くの重宝を持たせ開放したが、静のその後は不明だそうです。
 静御前の伝説は全国にあり、北海道の姫川に身を投げたとも、由比ヶ浜に入水自殺したとも伝えられています。 奈良県大和高田市の磯野は磯野禅尼の里で、静御前も母の里に戻って生涯を終えたとする伝説が伝えられています。 また淡路島や埼玉県北葛飾郡栗橋町、山口県阿武郡阿東町などに静のものと伝えられる墓があり、福島県郡山市には、 義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂があるそうです。


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