◆ 旧伊藤伝右衛門邸の玄関


◆ 庭から見る旧伊藤邸(2階は白蓮の部屋であった)

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筑豊の炭鉱王と言われた伊藤伝右衛門さんの旧宅が飯塚市の幸袋にあり一般公開されている。この旧宅は敷地約2300坪もあり地元では赤銅御殿(あかがねごてん)と言われている豪邸です。
この伊藤伝右衛門さんは万延元年(1860年)にこの幸袋で極めて貧困の家の長男として生まれ、大変苦労したそうです。
学校にも行けなくて字もあまり読めなかったといいます。しかし、父、伝六の炭鉱開発をきっかけに坑主の道をすすみ
大成功をしました。明治34年には嘉穂銀行(現、福岡銀行)取締役、同36年衆議院議員に当選し、金融界、政界に進出し、
金融機関の支援獲得や鉱業資本との業務提携を行い、先発の坑主に伍する資本基盤を固めました。
この伊藤伝右衛門さんを有名にしているのは炭鉱王よりも「白蓮事件」です。
この事件は伊藤伝右衛門さんの妻であった歌人の白蓮が七歳年下の東大生であった宮崎竜介と駆け落ちをし、
大正12年10月に『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を大阪朝日新聞に
掲載した事件です。まだ女性の人権も低かった時代のことですから世間は大騒ぎしたようです。
この白蓮さんは一度結婚して子供を生んだが離婚になっており、26歳で伊藤伝右衛門さんと結婚し、そして駆け落ちですからね。
理由はいろいろあったとは思いますが「なんだかな〜??」と思います。まあ、伊藤伝右衛門さんも妾(めかけ)が数人いたようですからお互い様ですかね。
せめてもの救いは白蓮と宮崎竜介は最後まで添い遂げたことですかね。
その白蓮さんが4年間使っていた部屋が旧伊藤邸で一番見晴らしが良い2階の部屋です。1階には当時としてはめずらしい水洗便所もあり、
これが九州で最初の水洗便所のようです。
余談ですが、白蓮さんと駆け落ちした宮崎竜介さんは孫文とも関係があった左翼思想家の宮崎滔天の息子です。駆け落ちした当時は金に困り、何度も親に
送金を願う手紙を出しています。後には弁護士になりましたから、それなりの生活ができたと思いますが、駆け落ちした当時は貧乏生活であったようです。
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