◆ 長崎ランタンフェスティバルのイベント媽祖(まそ)行列
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江戸時代の初期 1635年(寛永12年)から幕府は鎖国政策を行い、オランダ(当初はポルトガル人)や中国との貿易は長崎だけで行うようになりなりました。
キリスト教の布教と植民地化を避けるためにオランダ人は出島に居住し、日本人の公用以外の出入りは原則禁止になっていました。
しかし、キリスト教でない中国人は長崎市内に住み比較的自由な生活をしていましたが、密貿易が後を絶たず、業を煮やした幕府は
1689年(元禄2年)に現在の館内町のほぼ全域を高い塀で囲み、その外に堀を設けた唐人屋敷を作り、市内の唐人を集め、居住させました。
唐人屋敷も出島と同じように日本人の出入りは原則禁止となりました。
内部には、長屋数十棟が建ち並んでいたといわれ、一度に2,000人前後の収容能力があったようです。
その後1784年(天明4年)に大火があり、ほとんど全焼しました。
明治維新後、唐人屋敷は廃止され在留中国人は港に近い新地蔵所跡地に移り住み、長崎独特の中国人街を作ってきたのが、今の長崎新地中華街です。

今の唐人屋敷跡には、明治期に修復改装された土神堂(どじんどう)、観音堂(かんのんどう)、天后堂(てんこうどう)の3堂の遺跡と、
明治元年(1868)に福建省泉州出身者の手によって建てられた旧ハビン会所、その後 明治30年(1897)に改装、改称された福建会館があります。
これらのお堂を巡ると赤いローソクがたくさん供えられています。これは『ローソク祈願四堂巡り』と言って、ローソクの4本セットを買い、
それぞれのお堂に供えてお参りすれば、幸運に恵まれる。といわれています。その為にどこのお堂に行っても赤いローソクがたくさん供えられています。
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