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長崎県長崎市伊良林2丁目
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◆ 日本で最初にブーツを着用した龍馬を記念して「龍馬通り」の途中にある「龍馬のぶーつ」
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◆ 寺町から風頭公園まで続く「龍馬通り」
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長崎の中心部を流れる中島川には日本最古の石橋である眼鏡橋が架かっています。その中島川の東には日本最古の唐寺である興福寺などの寺が多くあり
通称「寺町」と言われている地域です。
この寺町にある禅林寺(ぜんりんじ)と深崇寺(じんそうじ)の間の細い坂道が「龍馬通り」と言われる道で、長崎港を見下ろす風頭公園まで続いています。
この道は坂本龍馬をはじめとした亀山社中の同志達が、どこへ行くにも通っていた坂道で、道の途中に坂本龍馬ゆかりの品々を展示している「亀山社中記念館」があります。
「亀山社中」は慶応元年(1865)に薩摩藩等の援助で坂本龍馬達がつくった商社で、日本最初の商社と言われています。
「亀山社中」のメンバーは神戸海軍操練所出身者が多く、船を使って物資の運搬や仲介をしていました。
坂本龍馬は政治よりは海運業に興味があり、もし、慶応3年11月15日の近江屋事件(おうみやじけん)で坂本龍馬が暗殺されなければ、海運王か岩崎弥太郎のように商社を作っていたものと思われます。

なぜ「亀山社中」という名前かというと、ここの地名が「亀山」だったので「亀山」となったようです。「社中」は仲間、結社という意味があるそうだ。ようするに「亀山の仲間」という意味ですね。
この亀山の地には幕末の名陶「亀山焼」の窯があった場所です。この「亀山焼」はオランダ船向けの「水がめ」などを焼いていましたが、オランダ船の入港が激減し、格調高い白磁染付を製作していました。
しかし、慶応元年(1865年)頃に廃窯(はいよう)となってしまいました。龍馬たちはその亀山焼関連の家屋を借り受けて、亀山社中をおこしたとされています。

「亀山社中記念館」の近くに「亀山社中資料展示場」というのもあります。こちらは、龍馬やお龍さん、桂小五郎などの明治維新当時の人物の写真の展示が主で、それほど見るべきものはありません。
まあ、ここは入館料が無料なのでも文句は言えません。
若宮稲荷神社に坂本龍馬の銅像がありますが、長崎市で龍馬の銅像があるのは、ここ若宮稲荷神社と風頭公園と
丸山公園の三か所にあります。
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◆ 禅林寺(ぜんりんじ)の所から龍馬通りは始まる
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◆ 深崇寺(じんそうじ)※周辺は寺が多く2社14寺ある
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◆ 石段の多い坂道が続く「龍馬通り」

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◆ 亀山社中記念館の入口

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◆ ちょっとした茶屋があったりする「龍馬通り」

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◆ 亀山社中記念館の入口から入ってすぐの玄関
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◆ 玄関を入る (人気があり、人が多い)
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◆ 坂本龍馬の写真

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◆ 亀山社中 寄寓(きぐう)の建物 【模型】 ※寄寓(きぐう)=借家

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◆ 龍馬が着ていた紋服【複製】

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◆ 愛用していたピストル【複製】

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◆ 月琴、掛け軸、刀などの複製
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◆ 龍馬の妻お龍さんも弾いていた月琴
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◆ 縁側から長崎の街と港が一望できた
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◆ 亀山社中そばにある、おみやげ屋さん「亀山の里」

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◆ 「亀山の里」

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◆ 「亀山の里」からの眺めは、なかなか良い

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◆ 龍馬のぶーつ ※日本で最初にブーツを着用した龍馬
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◆ ここから見る長崎の街並みは「長崎都市景観賞」を受賞
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◆ 亀山社中資料展示場

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◆ ここにもピストル【複製】がある

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◆ NHK大河ドラマ「龍馬伝」のポスター

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◆ 時代劇で使うような刀

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◆ 写真がいっぱい

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◆ 坂本龍馬の銅像がある若宮稲荷神社

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◆ 若宮稲荷神社の社殿

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◆ 若宮稲荷神社から見る長崎市街地

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◆ 道路脇にある亀山焼窯跡の碑と説明板の絵
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◆ 「龍馬通り」の案内の上には小さな龍馬の銅像がある
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◆ 道そばにあったお地蔵さん
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◆ この先の石段を上ると風頭公園(かざがしらこうえん)
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◆ 案内版は良く整備されている
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◆ 「風頭公園桜まつり」中であった
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◆ 風頭公園の桜は満開
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◆ 風頭公園にある坂本龍馬の銅像
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◆ 風頭公園のハタ上げ広場
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◆ 亀山社中記念館と龍馬通りの動画

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