菅原道真と天拝山
菅原道真(845年8月1日〜903年3月26日)は平安時代の人で学者、漢詩人、政治家であった人で、
宇多天皇に重用され昇進し、醍醐朝では右大臣(うだいじん)にまでなった人です。右大臣とは、朝廷の最高機関で左大臣の次に偉い太政官の職の一つです。
会社で言えば社長を天皇とするなら左大臣は専務、右大臣が常務というところでしょうかね。
その菅原道真が左大臣藤原時平の陰謀により(諸説ある)、大宰府の最高責任者(権帥)として左遷され太宰府で没しました。
死後、都では天変地異が多発したことから、道真ねの祟り(たたり)とされ、
菅原道真公の怨霊を鎮魂するため太政大臣を追贈(ついぞう…死後に官位・称号・勲章などを贈ること)しました。それで道真は機嫌を直し天変地異もおさまり、道真は天神さまとなられたそうです。
また、現在は学問の神様として親しまれており、太宰府天満宮や北野天神など菅原道真を祭る神社が日本全国に多くあります。
これらは天神信仰(てんじんしんこう)といわれ、天神(雷神)に対する信仰のことで、特に菅原道真公を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことです。
さて、太宰府に来た菅原道真が自分の無実を天に訴えるために100日間紫藤の滝(しとうのたき)にうたれ身を清め
七日七晩天拝山の山頂にて祈りをささげたと伝えられています。
その時に登ったであろう道が「天神様の径」で、祈りをささげた場所が山頂手前にある「天拝岩」だそうです。
なお、山頂には菅原道真を祀る天拝神社があります。
●九州に住んでいる私から言わせてもらうと
都で右大臣まで上りつめた人が、当時は相当 田舎であったであろう九州に来て、無念な気持ちは理解できますが、
だからと言って、ふてくされて仕事もせずに歌なんか詠んで一生を終ったというのはどうなんでしょうね?
一応、太宰府にあった九州を治めていた太宰府政庁の最高責任者の任にあったわけですが、一度も政庁には顔を出さなかったようです。
ようするに会社で言えば専務と常務の権力争いで敗れて、常務であった菅原君は九州支店長に左遷(させん)させられた。頭にきた菅原君はふてくされて会社にも行かず、
仕事もせずに、愛人をはべらせて歌を詠むという、ぐうたら生活を送り一生を終えた。まあ、こういう事だと思います。
ここで九州支店長になった菅原君は、本社に思い知らせてやると奮起して九州支店を本社に勝るとも劣らない支店にしたなら、尊敬に値する人だと私も認めますが、
そういう前向きな気持ちは無かったのが残念ですね。
菅原道真は歴史上の人物としては超有名人ですが、知名度に似合う、なにか良い事をしたのか? ちょっとばかり詠んだ歌が残っているだけだけだろう・・・・と思うのです。生き方も「なんだかな〜」と思います。
これは私の個人的な意見です。