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◆◆◆◆◆ 臼杵 (うすき) ◆◆◆◆◆

 臼杵といえば大友宗麟ですが、宗麟の嫡男(ちゃくなん)である大友 義統(おおとも よしむね)は天正20年(1592年)に秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に参戦しました。 しかし、大友 義統(おおとも よしむね)は敵前逃亡の罪で秀吉からひどく怒られ、改易という厳しい処分を受けたのです。
以後、臼杵は豊臣家の直轄地になり、関が原の合戦以降は稲葉貞通が美濃(岐阜県)の郡上八幡から移封されて以来、 明治維新に至るまで十五代おおよそ270年間稲葉氏がこの地を統治しました。

 
 


 ◆ 臼杵城跡から南方向を見る臼杵市街地(本丁、海添地区方面)  ※ クリック --> 超ビッグパノラマ写真
臼杵城跡から南方向を見る臼杵市街地(本丁、海添地区方面)

 ◆ 臼杵城跡から北西方向を見る臼杵市街地(祇園洲地区、臼杵川方面)  ※ クリック --> 超ビッグパノラマ写真
臼杵城跡から北西方向を見る臼杵市街地(祇園洲地区、臼杵川方面)


    ■■■■■ 臼杵城跡 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )


 ◆ 時鐘櫓(じしょうろう)跡  動画
時鐘櫓(じしょうろう)跡

 臼杵城(うすきじょう)は大友宗麟が永禄5年(1562)に府内城(大分市)から移した居城です。丹生島(にうじま)という島に造られた城で、回りを海に囲まれた平山城(海城)でした。 今は埋め立てられ周辺は家に囲まれ島であった面影は残っていません。
その後、臼杵城は稲葉氏により改築され、明治初年に城郭のほとんどは破却されました。現存は、わずかに東南隅の卯寅口門脇櫓と西南隅の畳櫓のみで、 城跡は臼杵公園となっており、西側に護国神社、中央部がグラウンド、東側が公園と卯寅稲荷神社の用地となっています。
石垣も大門櫓(おおもんやぐら)周辺や本丸と二の丸の間の空堀周辺、卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)周辺に残っています。
卯寅口門脇櫓のすぐ側に卯寅(うとの)稲荷神社が建っていますが、この神社は大友宗麟が築城に際して、 卯寅口が城中の鬼門にあたるため城の地主神・丹生島明神を祀ったのが始まりとされています。
また、二の丸跡への入口に平成13年に大門櫓(おおもんやぐら)が復元されました。
春は桜の名所として「桜まつり」が盛大におこなわれます。
● 場所は臼杵市街地マップを参照ください。

 ◆ 平成13年に復元された大門櫓(おおもんやぐら)
平成13年に復元された大門櫓(おおもんやぐら)
 ◆ 正面の二の丸跡はグラウンドになっている
正面の二の丸跡はグラウンドになっている

 ◆ 本丸と二の丸の間の空堀(左:本丸、右:二の丸)
本丸と二の丸の間の空堀(左:本丸、右:二の丸)
 ◆ 本丸跡にある天守櫓跡
本丸跡にある天守櫓跡

 ◆ 畳櫓(たたみやぐら)
畳櫓(たたみやぐら)
 ◆ 卯寅口門脇櫓
卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)
 ◆ 卯寅(うとの)稲荷神社
卯寅(うとの)稲荷神社

 ◆ 護国神社
護国神社
 ◆ 大友宗麟のレリーフ
大友宗麟のレリーフ
◆ 当時「国崩し」と呼ばれていた大砲
大砲。我が国で最初に大砲を使ったのが大友宗麟だった。「国をも崩す」という意味から当時「国崩し」と呼ばれていた



    ■■■■■ 稲葉家下屋敷 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )



稲葉家下屋敷・旧平井家住宅

 稲葉家下屋敷が臼杵城の近くに残っている。りっぱな門構えに漆喰の土蔵や土塀、いかにも上級武士の屋敷という構えであるが、 この家は廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として明治35年に造られたもので比較的新しい家です。 入口近くが稲葉家下屋敷で奥が旧平井家住宅となっています。旧平井家住宅は安政6(1859)年に建てられた200石取りの上級武家屋敷です。


◆ 廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として明治35年に造られた旧臼杵藩主稲葉家下屋敷
廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのための住宅として明治35年に造られた旧臼杵藩主稲葉家下屋敷

 ◆ 前の水路にはコイが泳いでいた
前の水路にはコイが泳いでいた
 ◆ 旧臼杵藩主稲葉家下屋敷の玄関まわり
旧臼杵藩主稲葉家下屋敷の玄関まわり

 ◆ 建物は書院造りの建築様式
建物は書院造りの建築様式
 ◆ お姫様が使っていた籠
お姫様が使っていた籠

 ◆ 廊下
廊下
 ◆ 庭がすばらしい
庭がすばらしい
 ◆ 蔵と井戸
蔵と井戸


    ■■■■■ 二王座歴史の道 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )



二王座(におうざ)歴史の道

 二王座(におうざ)付近は寺院と武家屋敷が続き凝灰石の石畳や長屋門などが立ち並ぶ所です。城下町臼杵を代表する歴史の道で臼杵で最も風情のある景観です。
浄土宗本願寺派の支院として、享保元年(1716)に開基された旧真光寺が、お休み処として無料開放されており、セルフサービスですがお茶もいただけます。 落ち着く部屋で、ごろっと横になって休憩もOKです。なかなか良い場所です。
観光総合案内所である「サ・ラ・デ・うすき」というのもあります。ここには芝生広場や売店やレストランなどがあり、臼杵観光の拠点として、また休憩所としても良い場所です。
また、毎年11月上旬の「うすき竹宵」では、ここ二王座(におうざ)の石畳などに約2万本の竹ぼんぼりが並べられ、まさに幻想の世界となります。


◆ 臼杵城跡のの西南に位置する二王座は昔には武家屋敷が多くあった場所で凝灰石の石畳や長屋門などが立ち並ぶ
臼杵城跡のの西南に位置する二王座は格式の高い武家屋敷が多くあった場所で凝灰石の石畳や長屋門などが立ち並ぶ

 ◆ 「切り通し」と呼ばれ、 臼杵で最も風情のある景観
この辺りは「切り通し」と呼ばれ、 臼杵の街並みの中で最も風情のある景観
 ◆ 旧真光寺が、お休み処として無料開放されている
浄土宗本願寺派の支院として、享保元年(1716)に開基された旧真光寺が、お休み処として無料開放されている

 ◆ 旧真光寺の休憩所(無料)
旧真光寺の休憩所(無料)
 ◆ 臼杵観光の拠点に休憩所に「サ・ラ・デ・うすき」
観光総合案内所である「サ・ラ・デ・うすき」は臼杵観光の拠点に休憩所に最適

◆ 明石原人発見者 直良博士生誕地
明石原人発見者 直良信夫博士生誕の地
 ◆ 今は使われていない金比羅井戸
金比羅井戸は昔には、飲料水や生活水として広く使われていた臼杵の名水であったらしい。今は使われていない。
 ◆ 旧後藤家長屋門
旧後藤家長屋門

 ◆ 参道の石段や石垣が城のような月桂寺(げっけいじ)
参道の石段や石垣が城のような月桂寺(げっけいじ)
 ◆ みごとな鐘楼が建つ多福寺(たふくじ)
みごとな鐘楼が建つ多福寺(たふくじ)





    ■■■■■ 野上弥生子文学記念館 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )



野上弥生子文学記念館 界隈(かいわい)

 野上弥生子(のがみ やえこ)は、明治18年5月6日今の臼杵市に醸造業を営む小手川酒造の長女として生まれた。 15歳で高等小学校を卒業すると両親を説き伏せて上京し、明治女学校に入学しました。 明治女学校を卒業後、同郷の野上豊一郎(元法政大学学長)と結婚しました。夫豊一郎が夏目漱石の門下生であったため、弥生子も漱石に文学の指導を受け、文筆活動の世界に入り、 22歳で「緑」を発表し99歳で亡くなるまで現役の作家として創作活動を続け、多数の作品を残しました。 1965年には文化功労賞を、1971年には文化勲章を受章しています。
その生家である小手川酒造の一角を改築して記念館とし、野上弥生子の遺品や貴重な資料が展示されています。

 野上弥生子文学記念館ホームページ(フンドーキン醤油)



◆ 格子窓が美しい野上弥生子文学記念館 ※残念ながら内部は撮影禁止であった
格子窓が美しい野上弥生子文学記念館。記念館には遺品や著作などを約200点を展示。幼少時代の勉強部屋も復元されています。

◆ 野上弥生子の生家は酒造業を営む手前の小手川酒造
野上弥生子の生家は酒造業を営む小手川酒造(手前の家)
 ◆ なまこ壁の蔵と白壁の調和が良い小手川酒造
なまこ壁の蔵と白壁の調和が良い小手川酒造

 ◆ 対岸にあるフンドーキン醤油も小手川一族の経営
対岸にあるフンドーキン醤油も小手川一族の経営
 ◆ フンドーキン醤油の本社屋も時代を感じる建物
フンドーキン醤油の本社屋も時代を感じる建物

 ◆ 野上弥生子文学記念館そばにある久家の大蔵
野上弥生子文学記念館そばにある久家の大蔵(くげのおおくら)
 ◆ 近辺は飲食街となっている
近辺は飲食街となっている


    ■■■■■ 龍原寺の三重塔 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )



龍原寺三重塔 (りゅうげんじさんじゅうのとう)

 龍原寺の三重塔は臼杵川の東の福良平清水地区にあります。大分市や津久見市などから臼杵市街地にくるには、この川そばの道を来る事になるので、 三重塔を目にすることになり、さすが城下町臼杵だと思わせる景観で臼杵の印象をグーンとレベルアップしています。
この龍原寺(りゅうげんじ)は浄土宗総本山知恩院の末寺で、慶長5年(1600年)に当時の領主だった稲葉右京貞通公が創建したものです。 三重塔は京都や奈良の木造古塔を参考として、臼杵の名工高橋団内が手がけ、10年という長い歳月をかけ安政5年(1858年)に完成させたものです。
塔の高さは21.8mあり中に聖徳太子像が安置されているそうです。現在は県指定の文化財に指定されています。
・見学は自由/拝観無料(駐車場なし)


 ◆ 九州に4つしかない三重の塔のある龍原寺(りゅうげんじ)
(他の三重の塔は福岡県瀬高町の清水寺と 長崎県平戸市の最教寺 と福岡県みやこ町の豊前国分寺跡にある)

九州に4つしかない三重の塔のある龍原寺(りゅうげんじ)

 ◆ 慶長5年(1600年)創建の龍原寺 慶長5年(1600年)創建の龍原寺
 ◆ 三重塔は安政5年(1858年)に完成した
三重塔は安政5年(1858年)に完成した
 ◆ 三重塔は重厚な造り
三重塔は重厚な造り

 ◆ 塔の四隅では鬼が軒を支えている
三重塔の四隅では鬼(邪鬼)が軒を支えている
 ◆ 境内にある拓蔵稲荷大明神と鐘楼
境内にある拓蔵稲荷大明神と鐘楼
 ◆ 境内のお地蔵さん
境内のお地蔵さん


    ■■■■■ 丸毛家屋敷 ■■■■■ === 場所はここ( マピオン 中央"+" 付近 )



丸毛家屋敷 (まるもけやしき)

 旧丸毛家(まるもけ)屋敷はつつましく格式を守っていた中級武士の生活がしのばれる家です。 丸毛家は200石の土地が与えられていた武士で明治維新まで臼杵藩の中級武士として勤めていた家です。
この家は江戸時代後期に建てられた家で、最近まで一般住宅として使われていたにもかかわらず、江戸時代からの姿をほとんど変えずに保っている 臼杵でも数少ない武家屋敷のひとつです。
この家の特徴は来客用の「表」と家族が生活する「奥」に分けられ、「表」は屋敷のなかでも一番、庭の眺めのよい場所にあり、 壁によって完全に区切られている所です。
・入館料無料 ・入館時間… 9時〜17時 ・休館日… 月曜、祭日の翌日 ※ 駐車場なし


 ◆ 江戸時代後期の建築様式をとどめる旧丸毛家(まるもけ)屋敷
江戸時代後期の建築様式をとどめる旧丸毛家(まるもけ)屋敷

 ◆ 表玄関からは表の部屋2部屋通して裏庭が見える
表玄関からは表の部屋2部屋通して裏庭が見える
 ◆ 内玄関にはかまどが2つある
内玄関にはかまどが2つある

 ◆ 南面に連なる「奥」の部屋と廊下
南面に連なる「奥」の部屋と廊下
 ◆ 「奥」の部屋もなかなか風流
「奥」の部屋もなかなか風流

 ◆ 丸毛家屋敷の近くにある中島家長屋門
丸毛家屋敷の近くにある中島家長屋門
 ◆ 丸毛家屋敷の近くにある旧安野家長屋門
丸毛家屋敷の近くにある旧安野家長屋門



    ■■■■■ 臼杵市その他の観光名所 ■■■■■ 



八坂神社 (やさかじんじゃ)

 祇園様と呼ばれ親しまれている八坂神社。7月に行われる「臼杵祇園祭り」は、800年の歴史があり大分の三大祇園祭りのひとつに 数えられ、多くの人たちで賑わいます。渡御、還御は山車を中心とした総勢2000名の大名行列など歴史情緒あふれる祭りです。

 臼杵八坂神社公式ホームページ


 ◆ 臼杵祇園祭りがおこなわれる八坂神社
臼杵祇園祭りがおこなわれる八坂神社
 ◆ 800年の歴史をもつ臼杵祇園祭り
800年の歴史をもつ臼杵祇園祭り
 ◆ 大名行列
大名行列





福良天満宮 (ふくらてんまんぐう)

 天満宮と言えば菅原道真。その道真の子供の流れをくむ神社であり大分の天神様と言われており、当然ここも学問の神様である。 学問以外に臼杵の経済の達人といわれている大塚幸兵衛の赤ねこ大明神もあり商売繁盛の神様でもある。 商人の町臼杵ならではの神社のひとつである。
映画「男はつらいよ」の山田洋次監督は、石段の途中から眺める風景を気に入り、第30作(花も嵐も寅次郎)の撮影の舞台にもなりました。 7月中旬には福良天満宮祭が行われ岩戸神楽、神幸、獅子舞、舞踊大会、献茶会などが行われます。中でも獅子舞は昔はどこでも見られたのでしょうが、 最近は他ではめったに見ることができないものです。

 福良天満宮公式ホームページ


 ◆ 大分の天神様である福良天満宮
大分の天神様である福良天満宮
 ◆ 神楽舞(1100年大祭にて)
神楽舞(1100年大祭にて)
 ◆ 鬼に抱かれて泣く子
鬼に抱かれて泣く子





日本一のクリスマス・ツリー

 臼杵城跡にそびえる高さ約30メートルのモミの巨木が2本ある。12月になるとイルミネーションが2000個ばかり 飾り付けられクリスマスツリーとなる。高さ30mで日本一の高さであるようだ。いままで日本一のツリーは 神奈川県愛甲郡清川村の宮が瀬にあるクリスマスツリーで高さ28mであったが、こちら臼杵の方が2mばかり高い ことが分かった。
なお、イルミネーションの点灯は1月中旬まで行われる。


 ◆ 臼杵城跡にある高さ約30mのツリー(高さ日本一)
臼杵城跡にある高さ約30mのツリー(高さ日本一)
 ◆ イルミネーションの数は多くなく、ちょっと寂しい
イルミネーションの数は多くなく、ちょっと寂しい

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  *インフォメーション
  ■臼杵市商工観光課  0972-63-1111(内線内線1265)
  ■臼杵市観光情報協会 0972-64-7130
  ■臼杵石仏事務所   0972-65-3300
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