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大分県佐伯市鶴見
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■■■■■ 元の間海峡 ■■■■■ ====場所はここ(マピオン)中央の'+'付近 ==========================
◆ 鶴御崎の沖にある大島との間の海峡「元の間海峡」。右端には岩にポッカリ穴のあいた「壇の窓」が見える
◆ 鶴御崎の沖にある「壇の窓」

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大分県佐伯市の東側の豊後水道に突き出た半島の先端部が鶴御崎で、九州最東端であり日豊海岸国定公園となっており美しい海と自然が残っています。
その鶴御崎半島の先端部に近い位置に大島があります。半島と大島の間の海峡を「元の間海峡」と言います。この海峡は大潮の時には2mもの潮目(段差)が生じ、
潮の流れが川のように早く、その様子は「段々展望所」から望むことができます。
「段々展望所」からは海峡を出入りする船や、波の浸食でポッカリと開いた穴の「壇の窓」、遠く豊後水道のど真ん中にある「水の子島灯台」などすばらしい景色を見ることができます。
● 大島への連絡船は佐伯市の佐伯港から出ています。
● おまけ…「元の間海峡」ビッグ写真はここ
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◆ 「元の間海峡」段々展望所

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◆ 左奥にうっすら水の子島灯台が見える。 ※ 望遠レンズで撮影しました。このように見えるわけではありません
■■■■■ 海事資料館と渡り鳥館 ■■■■■ ====場所はここ(マピオン)中央の'+'付近 ==================
◆ 点線の先が水の子島灯台。灯台の管理をする灯台守の退息所が今は海事資料館と渡り鳥館となっている
◆ 無料のキャンプ場もある下梶寄(しもかじよせ)海水浴場
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豊後水道の真ん中に位置する「水の子島灯台」が明治33年(1900年)にできました。「水の子島灯台」を維持・管理する灯台守さん達の退息所(寄宿舎)として明治36年(1903年)に建設された建物が、
今は「海事資料館」と「渡り鳥館」になっています。
ここから水の子島灯台を正面に見ると、当時は道路もなかった陸の孤島であるここに退息所(寄宿舎)を造った理由が分かります。ここからなら望遠鏡で水の子島灯台が見れるし、照明機を使ってモールス信号で
連絡もとれたものと思います。ただ、当時は車の通る道路もなかったので買い出しは船で佐伯まで行っていたのでしょうね?
この退息所(寄宿舎)は昭和34年(1959年)まで使われていました。ここが無くなっても灯台には職員を巡視船で運び、水の子島灯台が完全無人化になったのは昭和60年(1985年)です。
海事資料館には当時の職員の部屋や水の子島灯台の模型や古い漁具などが展示されています。
渡り鳥館には1963〜1984年の22年間に水の子島灯台に飛来して、灯台にぶつかり死んだ鳥を灯台守だった川原忠武さんが剥製(はくせい)にした物を展示しています。
62種、550羽の鳥の剥製(はくせい)が展示されており、今では貴重な鳥も多いようです。
そばに 無料のキャンプ場のある下梶寄(しもかじよせ)海水浴場があります。ここは豊後水道に面する、九州最東端の海水浴場で、更衣室も完備しています。近くにはバンガローもあり、自由にテントも張れる下梶寄(しもかじよせ)キャンプ場もあります。
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◆ 海事資料館
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◆ 渡り鳥館
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◆ 当時の灯台守さん達が暮らした部屋

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◆ 多くの鳥の剥製 ※ヨタカ(夜鷹)という鳥は珍しい鳥

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◆ 昔に使用したランプや古い漁具の展示もある

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◆ 灯台の灯火の間隔をコントロールする機械

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◆ 鳥の剥製(はくせい)を作った川原忠武さん
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◆ 川原忠武さんは器用な人で船も造っていました
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◆ 敷地内にある石柱は日時計。この上に指針を立てた
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◆ 一見古そうな建物だが1985年にできた新しい倉庫
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◆ 海事資料館の前から見る水の子島灯台 ※ 望遠レンズで撮影しました。このように見えるわけではありません
■■■■■ 鶴御埼灯台 ■■■■■ ====場所はここ(マピオン)中央の'+'付近 ===========================
◆ 九州最東端の地に建つ鶴御埼灯台 (周辺はミュージアムパーク鶴御崎と言い、公園化されています)
◆ 鶴御崎ではなく鶴御埼と“埼”の字が書いてある

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豊後水道に突き出た鶴御崎半島の先端の九州最東端の地に建つのが鶴御埼灯台です。海抜150mに建っており、昭和56年(1981年)に初点灯された灯台です。
周辺はミュージアムパーク鶴御崎と言い、公園化されています。
この灯台の名前は鶴御崎灯台ではなく鶴御埼灯台と“埼”の字が書いてあります。少しこの鶴御崎という名前の漢字はいろいろありややこしいですね。
なんでもこの半島は戦前までは鶴見崎と言って“御”ではなく“見”という漢字を使っていたようです。今もここの町名は鶴見町(その後合併して佐伯市鶴見になった)です。
なぜ戦後には“御”の字が使われだしたのかは知りませんが今はこの半島は鶴御崎と書くようです。
灯台のそばに展望台があります。ここが九州最東端の展望台になりますね。この展望台からは遠く四国の山々や水の子島灯台、沖を行く船、鶴御崎半島のリアス式の海岸風景を眺めることができます。
とても清々しい風景です。
先の戦時中にはここは要塞化(鶴見崎砲台)されており、その名残の地下壕などが多く残っています。その地下壕の一つが解放され展示場になっています。行った時は「青木巌氏釣りウキ展」なるものを行っていました。
私はウキにあまり興味がないから、早々に引き揚げましたが無料ですから興味のある人は観覧してみて下さい。
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◆ 灯台の地下(昔の要塞)は展示場になっている

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◆ 鶴御埼灯台の照射灯
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◆ 九州最東端の展望台
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◆ 展望台からの眺め
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◆ 展望台から見る「水の子島灯台」と四国の山々
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■■■■■ ミュージアムパーク丹賀 ■■■■■ ====場所はここ(マピオン)中央の'+'付近 =================
◆ 丹賀砲台跡にはドームが造られ周辺は丹賀砲台公園になっている
◆ ドームの中には砲台跡の大穴がある

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佐伯市街地から鶴御崎半島の先端部に向かうと途中に丹賀浦という集落があります。県道611号線の女郎崎トンネルがありますが、その手前を左に100m程度入った所が丹賀ミュージアムパークの入口となっています。
入場料は大人200円です。
駐車場から無料のリフトに乗り、上ると昔の砲台跡地の大きな穴の底に出ます。
このリフトも昔に造られたものだと思います。思い砲弾を運ぶリストだったようです。砲弾の倉庫は低い位置の横穴にでしたから、そこから砲弾を人が担いで、えんやら坂道を運ぶ事はできなかったでしょう。
リフトで上り大穴の底に出ると、そこは迷路のようになっており、いくつかの小部屋があります。小部屋には戦時中(昭和15〜17年頃)や昭和初期の昔の写真が飾ってありました。
軍服姿の写真や青年団、大日本国防婦人会の美人の奥さん達の写真など興味深く見ました。
ここの砲台は昭和4年(1929年)に竣工し、昭和8年に巡洋艦「伊吹」搭載の45口径30cmのカノン2門が備え付けられました。その後12cm榴弾砲4門、20cm機関砲2門などが配備され、豊後水道の守りを担っていました。
しかし、昭和17年1月11日にカノン砲2門の試射を行ったところ、それぞれ2発行った最後の1発が暴発し内藤中佐以下16名の犠牲者と30数名の負傷者を出しました。
今、砲台下の駐車場脇に犠牲者の忠魂の碑があり16名の名が刻まれています。
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◆ 大穴の底は深く、底には通路といくつかの小部屋がある
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◆ 砲台跡の大穴から上を見上げる
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◆ 大穴の底の通路は迷路のよう
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◆ 沖松浦青年団(昭和17年)の写真
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◆ 丹賀砲台公園から見る大島
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◆ 砲台公園に上る無料のリフト
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◆ 駐車場脇にある砲弾倉庫
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■■■■■ おまけ(鶴御崎半島点景) ■■■■■ ================================================
◆ 鶴御崎半島の最先端部近くに位置する下梶寄(しもかじよせ)地区の集落 ※ビッグパノラマ写真はここ

◆ 元の間海峡と大島を望む。ちなみに大島への連絡船は佐伯市の佐伯港から出ている

◆ 丹賀砲台公園より大島の集落を望遠レンズで写す。大島の集落はここと、この裏にあるようだ


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