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● 原の辻遺跡(はるのつじいせき)

壱岐は九州本土の北岸、玄界灘に浮かぶ島で古来から対馬とともに中国大陸、朝鮮半島との対外交渉に重要な役割を果たしてきました。
中国の3世紀の歴史書「三国志」魏書東夷伝倭人の条(いわゆる魏志倭人伝)には「一支国(いきこく)」の名で登場し、57字の記載がみられます。
それによれば卑狗(ひこ) 卑奴母離(ひなもり)という長官と副官がおり、島の広さは四方300里ばかり、竹や木が茂り3000ばかりの家がある。
田畑はあるが食糧が足らず、対馬国と同じように南や北に海を渡って穀物を買い入れて生活していると記述されています。
原の辻遺跡は大正時代に地元の研究者により発見され戦後に県や町により発掘調査が行われ大規模遺跡として知られていました。
平成5年(1993年)以降行われた本格的な調査で我が国を代表する弥生時代の多重環濠集落で「一支国(いきこく)」の中心となる王都であることが判明し、
魏志倭人伝に記載されている国々で国の中心が明らかになった初めての遺跡となりました。
このことから平成12年(2000年)に弥生時代の遺跡として登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に次いで国の特別史跡に指定されました。
(現地の説明板より転載)
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