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鹿児島市中央町14
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◆ 共研公園の北側の入口にある西郷南洲翁宅地跡
◆ そばに鹿児島市立女子興業学校跡地もある
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JR鹿児島中央駅から東に約200m行った所に共研公園があります。この公園の北側からの入口に「西郷南洲翁宅地跡」というのがあります。
「翁」と付いているので、西郷隆盛がずいぶん年寄りになり住んでいた場所かと思いましたが、西郷さんが29歳のとき、安政2年(1855)に加治屋町の屋敷を売り払い、ここに移ってきたようです。
なんでも、ここに来る前々年 祖父、父、母と相次いで失い、借金の返済に充てるために加治屋町の屋敷を売ったようです。
そして、この屋敷で弟の吉次郎や従道の結婚式を行い、妹が嫁ぎ、西郷自身も慶応元年(1865)にイト婦人と結ばれました。ここに住んでいた時期が、
西郷の人生の中で最も波乱万丈な時代であったようです。
西郷の旧宅がもう一つあります。それはJR鹿児島中央駅の西側の西郷公園(西郷屋敷跡)です。この武村の屋敷跡は征韓論が敗れ、西郷が下野して鹿児島に帰ってから
住んでいた場所です。
武村では自らを「武村の吉(きち)」と称して肥桶(こえおけ)をかつぎ、鍬(くわ)をとり百姓をしていたそうです。
しかし、西郷を神のように尊ぶ若者が続々と集まり、担ぎ出され4年後に西南戦争が始まるのです。
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◆ 共研公園は駅から近く市民の憩いの場になっている
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◆ 正面は鹿児島中央駅
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■■■■■ 西郷公園 ■■■■■ ==============================================================
◆ 西郷隆盛と庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見の像 ※西郷公園の場所はここ(中央"+"あたり)
◆ 西郷屋敷跡の碑
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◆ 西郷隆盛が使用した井戸
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◆ 昔は大きな松の木が茂っていたらしい
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◆ 菅実秀とともに訪れた石川静正の書いた西郷屋敷
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● 西郷隆盛と庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見
西郷公園(西郷屋敷跡)の中に西郷さんと庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見の像があります。
この菅実秀(すげ・さねひで)は元庄内藩(山形県)の家老であった人です。
会津藩・庄内藩はコテコテの幕府派であった藩で、官軍の西郷たちと激しい戦いを行って敗れたのですが、
西郷のはからいで庄内藩の処罰が寛大になったということがあり、以来、菅実秀(すげ・さねひで)は西郷を尊敬しました。
それで明治8年に菅実秀(すげ・さねひで)がこの屋敷に西郷を訪ねて来て、対話している姿です。
後に菅実秀(すげ・さねひで)は「南洲翁遺訓」という本を刊行し西郷の偉大さを全国に知らしめました。
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