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● 内城跡と大龍寺跡
篤姫生誕地(旧:今和泉家の屋敷)そばの大龍小学校の一角に内城跡があります。この内城は今の鹿児島城(鶴丸城)ができる前の城です。
内城は鹿児島城(鶴丸城)ができて廃城になるまで50年間、島津氏の本城として城下町の中心地であった場所です。
慶長9年(1604)に鹿児島城(鶴丸城)が完成し、島津氏の本城はそちらに移り、内城跡に大龍寺(だいりゅうじ)という寺ができました。
この大龍寺(だいりゅうじ)に儒教僧南浦文之(なんぽぶんし)和尚が開祖として招かれました。南浦文之(なんぽぶんし)和尚は
1555年に日向(宮崎県)飫肥(おび)に生まれ、文殊童と呼ばれるほどの天才児でした。串間の龍源寺の一翁玄心に儒学を学び、
15歳で京に上り東福寺龍吟庵の煕春(きしゅん)に師事しました。その後郷里の日向に戻って島津氏に仕えたのです。
第16代島津義久、第17代義弘、第18代家久の3代に仕え、文教の振興に尽くす一方、藩の政策・外交に重要な役割を果たしました。
琉球政策などに手腕を発揮し、黒衣の外交官と言われました。
なお、この文之(ぶんし)和尚が書いた「南浦文集」に収められた「鉄砲記」は、我が国への鉄砲伝来を知る貴重な資料になっています。
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