◆ 大久保利通ゆかりの地(大久保利通が育った場所)場所

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鹿児島中央駅から東の方向に約500m程度いった場所に加治屋町があります。甲突川の左岸になる場所です。ここは明治維新の時に多くの偉人を排出した所で、
わずか約500m四方の場所に西郷隆盛や大久保利通をはじめに、日本陸軍の創設者 大山巌、薩軍二番大隊長の村田新八、時代は少し後になるが東洋の「ネルソン」と言われる東郷平八郎などなど、
じつに多くの偉人を出しました。
加治屋町の甲突川のそばに「維新のふるさと館」があります。ここは明治維新を中心とした鹿児島の歴史をジオラマやマルチ画像などで紹介しています。
その「維新のふるさと館」の北側が大久保利通「ゆかりの地」になっています。「ゆかりの地」とは、ここで生まれたのでは無いが、ここに住居があったと言う事です。大久保が生まれたのは加治屋町ではなく、
約400m程度離れた甲突川の対岸の高麗町(これまち)という所です。
また西郷隆盛の生誕地は「維新のふるさと館」のすぐ東側にあります。大久保が育った「ゆかりの地」と西郷の生誕地は距離にして約150m程度しか離れていないですね。
西郷の方が2歳年上でした。その後2人は誠忠組(若手改革派集団)を結成します。西郷がNo.1 で大久保は No.2 でしたが、西郷が安政の大獄のあおりを受け奄美大島に身を隠したときに、
大久保が誠忠組のNo.1 になり、出世街道を駆け上がる事になるのです。
大久保は世渡りが上手で西郷は不器用だったようです。
この竹馬の友であった西郷と大久保は1877年(明治10年)に起きた西南戦争で官軍と薩摩軍に分かれ戦うことになりました。
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