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金竜寺 ( きんりゅうじ )

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福岡県糸島市(旧:前原市)高祖1289
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◆◆◆◆◆ 金竜寺(きんりゅうじ) ◆◆◆◆◆

 金竜寺(金龍寺)は高祖(たかす)山の西斜面にあり高祖(たかす)神社の近くです。 この金竜寺は、この地方を治めていた大蔵朝臣(おおくらあそん)原田家菩提所として永年5年(1508年)に建立された寺です。

 
 


 ◆ 戦国時代、この土地の豪族、原田氏の菩提寺であった金竜寺 (後ろの山は高祖山)
戦国時代、この土地の豪族、原田氏の菩提寺であった金竜寺(後ろの山は高祖山)


 ◆ 金竜寺の本堂
金竜寺の本堂

 原田家はコテコテの平家側の武将であり、源平の合戦で平家が敗れ、原田家も領地を没収されました。原田氏は関東に幽閉されましたが 1190年(建久元年)に赦免(しゃめん:罪や過ちを許すこと) となり、 御家人として筑前国怡土庄に領地を与えられます。この時に、原田氏はこの地の領主となったのです。

 しかし、その後、1587年(天正15年)の豊臣秀吉の「九州征伐」により、またも取り潰しとなり没落しました。
金竜寺の山門には「大蔵朝臣原田家菩提寺」と「福岡藩主黒田家准菩提寺」の表札が架かっています。 また、裏には高祖山を借景にした築山式の庭園もあります。

 ◆ 金竜寺、本堂の内部
金竜寺、本堂の内部
 ◆ 金竜寺の鐘楼
金竜寺の鐘楼

 ◆ ちょっと古い建物もある
ちょっと古い建物もある
 ◆ 金竜寺の山門の前にある大きなソテツ
金竜寺の山門の前にある大きなソテツ

 ◆ 金竜寺は少し高い位置にあるので雷山や糸島市(旧:前原市)市街地方面の眺めが良い
金竜寺は少し高い位置にあるので雷山や糸島市(旧:前原市)市街地方面の眺めが良い

◆ 裏にある高祖山を借景にした築山式の庭園
裏にある高祖山を借景にした築山式の庭園
 ◆ 墓地の奥には古い墓もある。原田家関係の墓かな?
墓地の奥には古い墓もある。原田家関係の墓かな?
 ◆ 高祖山を背景にして黒田甚四郎政冬廟があります
高祖山を背景にして黒田甚四郎政冬廟があります(黒田甚四郎政冬は黒田長政の二男)



大蔵朝臣(おおくらあそん)原田家

 この原田氏は「原田系図」によると先祖は後漢の霊帝(れいてい 156年 - 189年 在位167年 - 189年)の曾孫(ひまご)の阿智王(あちおう)となっています。 つまり溯れば三国志に出てくる漢の劉邦(りゅうほう)の末裔であるということになります。

阿智王(あちおう)は三国時代の到来と共に国内が乱れたので、朝鮮半島の帯方郡に移住しましたが、応神天皇の20年(西暦289年)に 七姓(朱・李・多・皀郭・皀・段・高)の漢人をひきいて渡来し日本に帰化しました。 阿智王の子の阿多倍は内大臣に任され、斎明天皇の皇女を妻にしています。 朝廷から特別な待遇を受けている一門として播磨国に宮造りもしています。
 15代春実に至って大蔵朝臣(おおくらあそん)の姓を与えられました(播磨の大蔵谷に代々居住したため、ともいわれます。)。 その後、939年(天慶2年)瀬戸内海にて発生した天慶の乱(藤原純友の乱)鎮圧、941年(天慶4年)5月博多津において藤原純友軍を撃退などの功績により、 従五位下対馬守・大宰大監(現地任用官最高位の位。大宰府の第三等官・管内の軍事警察を管轄)となります。 子孫は九州に土着し、大宰府の「府官」を世襲します。

 保元の乱1156年(保元元年)以降、大宰大弐(大宰府の第二等官)に続けて任官した平氏(平清盛、平頼盛)と私的主従関係を結び、 原田種直は平清盛の長男、平重盛の養女を妻とし、大宰府における平氏政権、日宋貿易の代行者となるのです。 このように原田氏は平家と強い結びつきがあり、源平の合戦においても常に平家の一員として戦いました。 1181年(治承5年)2月には九州において反平氏の姿勢を見せた肥後の菊池隆直らと合戦しています。
また、1183年(寿永2年)8月平氏都落ちの際には、九州に逃げてきた安徳天皇をかくまったことでも有名です(『平家物語』『筑前国続風土記』)。 1185年(文治元年)2月、源範頼軍との芦屋浦の合戦、同年2月、源義経軍との屋島の合戦、同年3月、壇ノ浦の合戦で源氏に敗北し、 領地(『吾妻鏡』によれば3700町歩)を没収されました。そして関東(一説には扇ヶ谷)に幽閉されましたが 1190年(建久元年)に赦免となり、御家人(鎌倉幕府と主従関係を結び従者となった武士)として筑前国怡土庄に領地を与えられます。→この時に、原田氏はこの地の領主となりました。
 その後、戦国時代の九州の大身の原田氏、田尻氏、波多江氏、秋月氏、江上氏、原氏、高橋氏等の諸氏に分かれます。

しかし、鎮西大蔵朝臣原田氏一門は1587年(天正15年)の豊臣秀吉の「九州征伐」により取り潰しとなり没落しました。秋月氏を除き他家の陪臣(ばいしん=殿様直接の家来でなく、家来の家来=また家来)となり、全国に四散しました。 これを「原田崩れ」といいます。
そんなに悪いことをしてるわけでもないのに、なんとなく時流に乗れず悲運な原田家でした。


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