◆ 四隅に像を配し、中央に「八紘一宇」の文字のある塔

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宮崎市の平和台公園は市街北西部の高台にある花と緑豊かな公園。公園の中心には世界各地から集めた石を土台にして、高さ37mの平和の塔が建っている。
この塔は昭和15年に紀元2600年を記念して建てられたもので、当時は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といったようだ。
塔の四隅にそれぞれ像を配し、中央に「八紘一宇」の文字もある。この「八紘一宇」とは、
世界を一つの家にするの意で、太平洋戦争期に日本のアジア侵略を正当化するために用いられた標語である。
なんでも、神武(じんむ)天皇が、即位した際にのべたとされる『日本書紀』のことばをもとに、明治に作られた造語であるようだ。
しかし、この塔も「八紘一宇」の文字も先の大戦で日本が負けて、日陰者扱いなってしまった。しばらくは四隅の像も
「八紘一宇」の字も外されていたが、昭和46年に塔は「平和の塔」として今風の名前に衣替えして再デビューし四隅の像も「八紘一宇」の字も復活した。
塔の四隅には正面(西側)から時計回りに荒御魂(あらみたま・武人),和御魂(にぎみたま・商工人),幸御魂(さちみたま・農耕人),奇御魂(くしみたま・漁人)の順に信楽焼の像が配置されています。
で、この塔は誰が造ったのかというと、塔の発案者は相川勝六当時の宮崎県知事で設計したのは、日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏」を制作したことで知られる彫刻家、日名子実三(ひなこじつぞう)氏が
担当したそうです。日名子氏は当時47歳でした。
塔の中(厳室=いつむろ)は公開されていませんが、扉には神武天皇が美々津港より御船出をする様子が描かれています。
この塔の土台となっている石垣は世界各地の石を取り寄せたと言われており、色が違います。中には南京日本居留民会と書いた石もありました。
そのほか、周辺には400点のはにわのレプリカがある「はにわ園」や、大芝生広場、アスレチック広場、白鳥の泳ぐ池などあり家族連れで一日楽しめる場所です。
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