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平戸は昔より中国大陸や朝鮮との交流の要地であった。その昔は神功皇后の三韓の役から遣隋使や遣唐使もここから出発している。
平安時代の末期には水軍で名高い松浦党(まつらとう)が誕生し、鎌倉時代以後には平戸を根拠地として私貿易や海賊行為などを
行い、倭寇(わこう)と言って恐れられていた。
室町時代になると領主の松浦隆信(たかのぶ)は当時東シナ海から南洋諸島にかけて暴れまわっていた中国の海賊五峰王直
(ごほうおうちょく)が平戸にやってきたのを大歓迎し、屋敷を与えるなどして保護した。これを契機に中国との貿易が
盛んになっていった。
天文19年(1550)には黄金の国ジパングをめざしていたポルトガル船が平戸に入港し、ポルトガルとの貿易が始まった。
外国との貿易で栄えた平戸は「西の京」と呼ばれるようになった。この当時にフランシスコ・ザビエルも鹿児島から
平戸にきてキリスト教を布教している。その後貿易相手国はイスパニア(現在のスペイン)、オランダ、イギリスと変わっていくが、
平戸は貿易港として外国の船が入港し大いに栄えていた。
しかし、江戸時代になり鎖国が完成し、外国との貿易は長崎だけに限られると平戸は海外貿易港としての地位を失っていった。
その後平戸は平戸藩6万石の城下町として、明治までこの地方の中心地の役割を担った。
今、平戸には日本初の南蛮貿易の舞台となった当時の面影を残す遺跡が市内に多く残っている。そう広くない市内にあるので、
歩いてまわるのに丁度よい距離である。車を降りて歩いて散策されることをお勧めします。
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